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T36 清 馬徳昭一筆虎虎は獣の中で一番強くて、縁起が良い。一筆と言う事はいっきに途中で止まらず書かれる事。自分自身の事業もいっきに強くなる様にと縁起物です。 馬徳昭の人物に関して |
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T37 清 馬徳昭一筆寿清同治の書家馬徳昭書かれた一筆寿は碑林博物館の名品の一つ、人気が高いです。 九十九と二十二で組み立てた寿、本当に120歳まで生きることができれば、長生きですね。プレゼントとしても自分で観賞しても最高に良いものです。 |
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T29 百福図福の百種の書き方を集めて作った作品。作者は唐代の李陽氷だ言われる。贈答品にお薦めです。李陽氷、字少温、唐玄宗開元の時趙郡の人。集賢院学士。一生を篆書に研究に費やしました。主には李斯の<澤山刻石>と孔子の<呉季札墓誌>をの研究に力を注ぎました。 |
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T39 般若心経(般若波羅蜜多心経)唐 玄奘三蔵法師が完訳したお経。全文が268字。写経の手本として最適。 楷書、作者:郭伯安(字は魯山)、長安の書家。 |
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T40 皇帝巡幸左神策軍紀聖徳碑並序<皇帝巡幸左神策軍紀聖徳碑並序>は柳公権66歳の時の作品、楷書。唐会昌三年(紀元843年)刻まれ、柳体楷書の代表作として評判が高い。 |
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T41 金剛般若波羅蜜経柳公権 書<金剛般若波羅蜜経> 楷書。唐長慶四年(824)四月、柳公権47歳の時の作品。 |
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T42 大秦景教流行中国碑唐建中二年(781)キリスト経が中国に広まった事を記録する為に刻まれた碑。文章は僧景浄、字は呂秀岩書いたもの。明天启三年(1623)出土、1907年碑林博物館に収められました。国宝です。
この拓本の碑額です。
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T43 長安郭伯安楷書長安郭伯安楷書《隆中対》 隆中:地名(今の湖北襄陽西)蜀の劉備が三たび諸葛亮の廬を訪れて遂に軍師に迎えた故事は皆様ご存知と思います。(三顧芧廬)その時、諸葛亮は劉備に“先ず荊州と宜州と占領して、呉の孫権の協力を得て、共に魏の曹操を討ち潰れれば、漢室の天下を恢複できる”と提案しました。二人の隆中での対話を《隆中対》と言います。 《前出師表》《後出師表》と共に“二表一対”と言え、永遠の名文です。 |
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T44 唐玄宗李隆基隷書唐玄宗李隆基隷書《石台孝経》
孝経:孔子と彼の弟子曽参編集した親孝行のお経です。古代儒家倫理学の著作。唐天宝四年(745)玄宗皇帝がそのお経を利用して天下を治めるため、自ずから全文また注釈も書きました。石碑は唐草模様を刻まれてある石の台に置かれた為《石台孝経》と名付けられました。国宝です。 |
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T45 唐顔真卿行書唐顔真卿行書《祭侄文稿》
唐乾元元年(758)安史の乱と言う内戦の為に兄顔杲卿と侄季明が死んでしまいましした、《祭侄文稿》は顔真卿が悲憤満々に書いた祭文の草稿です。全文234字、その中には34字が書き間違ったまま、残された。見れば、作者の当時の気持ちを直ぐ感じられると思います。天下第二の行書とも言え、評判が極めて高いです。 |
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T46 唐顔真卿草書唐顔真卿草書《争座位帖》
唐年広徳二年(764)、仆射(官名)郭英又に書いた手紙、《与郭仆射書》とも言います。内容:菩提寺で法会を行う時、仆射郭英又が何回も勝手に宦官魚朝恩を上席に座らせた顔真卿が不満を伝えるためにこの文章を書きました。 |
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T47 宋徽宗趙佶瘦金体楷書漢詩宋徽宗趙佶瘦金体楷書漢詩
宋徽宗趙佶(1082-1136)北宋の最後の皇帝。政治には能力が無かったが、芸術の面では天才で、文化財の収集に熱心でした。瘦金体楷書の創始者。 |
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T48 王羲之書《蘭亭序》晋,王羲之の行書。353年(永和3)3月3日,祓禊の日,右軍将軍・会稽内史王羲之は,会稽山陰の蘭亭(浙江省紹興県)に,謝安・孫綽ら一流名士を招き,流觴曲水の宴を設けた。一觴一詠し,四言詩五言詩の2首をつくったもの11人,一題一首をつくったもの16人。そのときの詩賦をまとめて,のちに『蘭亭集』とし,王羲之の前序・孫綽の後序がつけられた。その前序が『蘭亭序』である。当日興のおもむくままに,蠶繭紙(さんけいし)に鼠鬚筆(そしゅひつ)という硬い紙筆を用いて,一気に書き上げた。28行324字,同じ文字はみな運筆が異なり,他日王羲之は100たび清書したが,できばえは初稿に及ばなかったといわれる。文章は,うつろいやすいものへの悲しみ,人間として逃れられない死に対する憂いを表現している。『蘭亭序』は書聖王羲之の作品のなかでも,逸品中の逸品として尊重されています。 王羲之:山東臨沂の出身。右軍将軍に任命されたことがあるから王右軍とも言います。 |
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T49 祝允明草書《前赤壁賦》明 祝允明草書《前赤壁賦》
《前赤壁賦》は宋の文学家、詩人蘇軾(字は東坡)が書いた文章。祝允明:長洲(今の蘇州呉県)人、字を希哲、号を枝山。“狂草”と称される草書を得意とした。 |
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T50 傅山草書《丹楓閣記》傅山(1605~1690)、明末清初の書道大家。字は青主、石道人・丹崖子・僑山・真山などの多くの号を持つ。山西省陽曲県(今の太原)の人。学者の家系に育ち、幼少の頃から才能を認められ、三十歳の頃には学んだ太原の三立書院では抜きんでた成績をおさめたという。しかし明王朝が亡んだ後は地方に流寓し、黄冠をいただき朱衣をまとって、清朝に反抗の意を表し、生涯官につくことはなかった。清初の碩学として知られるが、傍ら書、画を善くした。書は各体に通じ、特に行草書に独特の作風を打ち立てた。
《丹楓閣記》は彼の代表作の一つです |
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