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T65 張旭草書「般若心経」張旭 盛唐の書家。蘇州の人。字は伯高。革新派書法の先駆者。草書を能くし草聖と称され、筆法を顔真卿、李白に伝えた。飲中八仙の一。懐素と共に顛張狂素と称された。
「般若心経」唐 玄奘三蔵法師が完訳したお経。全文が268字。写経の手本として最適。 |
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T66 範仲淹「岳陽楼記」岳陽楼は湖南省の岳陽市にあり、洞庭湖畔に建てられている楼閣で、湖北省武漢市の黄鶴楼、江西省の南昌市の滕王閣と共に江南三大楼閣の一つに数えられています。 三国時代呉の名将―魯粛が水軍の訓練をするときの閲兵台が楼の始まりだとされ、 当時の有名な文学者である範仲淹が「岳陽楼記」を執筆しました。 「岳陽楼記」には「天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という名句があり、後世の人に大きな影響を与え、日本でも後楽園の名のもとになりました。 黒い枚塀に柳がそよぐ、躍金楼。創業は明治6年、かの山岡鉄舟が名付け親である。「岳陽楼記」の一節「皓月千里、浮光躍金」から取った「金波が躍る」水面を照らす光で魚の鱗が金色に輝く様子からイキのいい魚、鮮度のいい料理を出す店でおれとの思いを託したと伝えられている。 |
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T67 白居易「長恨歌」 唐代の中頃、中唐と呼ばれる紀元806年、白居易によって、長編叙事詩「長恨歌」が作られました。 |
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T68 石門頌石門頌について語る時、先ず当時の状況からお話しなければなりません。 |
ところがこれほどの苦労を重ねて開通させたこの褒斜道でしたが,107年には異民族である西羌の侵略によって壊されてしまいました。しかしこれでは不便極まりないというので,当時司隷校尉の官職にあった楊孟文が何とか再開するように皇帝に再三奏上した結果,125年にようやく皇帝の裁可が下り,褒斜道は再び開通したのでした。その後,148年に至って,漢中大守であった王升がかつての楊孟文の功績を称えて刻したのがこの「石門頌」なのです。 |
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T69 王勃「騰王閣序」騰王閣(江西)黄鶴楼(武漢)岳陽楼(岳陽)と会わせて江南三大名楼と称される。
当「騰王閣序」は西安書道家 魯山 書 |
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T70 陽刻「米芾行書漢詩四屏」米芾(1051-1107)北宋の大画家、書家、文人。字は元章。湖北襄陽の人。
中国北宋の時代(960~1127)は書道芸術が花開き、宋四家と呼ばれる黄庭堅(山谷)(1045~1105)、米芾(元章)、蘇軾(東坡)(1036~1101)、蔡襄(君謨)(1012~1067)ら中国美術史上錚々たる地位を占める人たちを輩出しました。
米芾は書画家、鑑定家、収蔵家と言われる文人で、北宋四家の代表人物です。
当「米芾行書漢詩四屏」は碑林博物館第四展室に保存された米芾の碑の陽刻版です。 |
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T71 陽刻「梅、菊、蘭、竹」梅、菊、蘭、竹を四君子と称す。中国では宋代よりこれを貴び君子としての力量、心構えの手本とし、資質としてみなされ草木に準えられた。君子とは、即ち、徳行正しき人格者であり心けだかく、清らかな高潔をいう。
当陽刻「梅、菊、蘭、竹」四君子は碑林博物館第四展室にある唐代線刻画の模写品です。 |
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T72 唐寅詩書唐寅(1470-1522)字伯虎、明代の詩書画大家、江南第一才子と称され。
当「唐寅詩書」は三枚で、とても逸品である。
23×108cm×2枚 対聯 |
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T73 開成石経「開成石経」は唐代に刻まれたものですが石に刻まれた古代思想が最も豊富で最良の状態で保存されいてその主な内容は古代中国の政治、経済、軍事、文化、他国との交流史、少数民族国史です。 西安碑林博物館の第1展示室には高さ二米余りの開成石経が114基ある。唐の文宗が830年に13種類の儒教経典を7年がかりで楷書で刻ませ、当時の大学生や文士たちに勉強させたものとか。要するに当時の教科書。その中の一つ尚書の字句「地平天成」から「平成」が生れた。
因みに 日本元号の「平成」は唐の時代の石碑「開成石経」に刻まれている「地平天成」が語源。 |
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T74 趙孟頫「寿春堂記」趙孟頫(1254~1322)湖州(現浙江省)の人。宋太祖趙匡胤の十一代目の孫に当たる。山水、水石、花竹、人馬を描くのを得意とし、画法は精緻、書道の技法で木石、花竹などを描いた。 |
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T75 昭陵六駿昭陵:唐二代目の皇帝太宗李世民の陵園。中国陝西省醴泉県の北東約25km,九峻山の山腹に作られている。太宗はその妃である文徳皇后のために陵をつくり,自からもそこに葬られた。陵の東西に3個ずつ並んでいた六駿(しゅん)は,“昭陵六駿”として名高いが、このうち4個は西安市内の碑林博物館に,他の2個はアメリカのフィラデルフィアにある。六駿とは,太宗遺愛の名馬6頭の像を,板石に浮彫したもので,唐朝芸術の傑作といわれている。 |
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T76 文徴明 楷書[千字文]文徴明は、江蘇の人で、明代(1470ー1559)の書画家で、画は山水・花卉を、書は楷書・行書を得意とした、明代を代表する四大画家(沈周・文徴明・唐寅・仇英)の一人で、同時に呉中の四才子(祝枝山・文徴明・唐寅・徐禎卿)の一人でもある。
穏健で精練された書風は文徴明ならではのもの。江戸時代日本に与えた影響は多大です。 |
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T77 「 龍門二十品」から選ばれた造像記五品龍門石窟:世界文化遺産、中国四大石窟の一つです。北魏時代の皇帝らにより国家事業として作られました。元々、少数民族の鮮卑族の北魏王朝は多数の漢民族を治めるために仏教政策をとります。その一端として、龍門石窟に仏龕(ぶつがん)・仏像を多数作りました。仏像を作った際に、作った理由や目的などを書いた物は造像記です。 ①尉遅為牛橛造像記 ②一弗為張元祖造像記 ③比丘慧成為始平造像記 ④北海王元詳造像記 ⑤解伯達造像記 ⑥魏霊蔵薛法紹造像記 ⑦北海王国太妃高造像記 ⑧楊大眼造像記 ⑨比丘道匠造像記 ⑩鄭長猷造像記 ⑪孫秋生劉起祖等造像記 ⑫高樹解佰都等造像記 ⑬比丘恵感造像記 ⑭太妃侯為亡夫賀蘭汗造像記 ⑮馬振拝等三十四人造像記 ⑯広川王祖母太妃侯造像記 ⑰比丘法生造像記 ⑱安定王元燮造像記⑲斉郡王元祐造像記 ⑳比丘尼慈慧政造像記 が選ばれています。しかし、このように龍門二十品などが選ばれ注目されるようになったのは清朝の乾隆年間に入ってからのようでそれ以前の拓本は皆無といってもよいと思われます。おそらく、碑学が充実してきて清朝の阮元(げんげん)の『北碑南帖論』や『南北書派論』が提唱されてからだろうと思われています。そして、近年注目されているのはその力強さ・造形的な躍動感によってだろうと思われます。
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