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西安写真館 鴻門宴
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始皇帝陵から約六キロ離れた西南に鴻門堡村という小村があり、この村は歴史上に発生した重大事件【鴻門の会】の遺跡の所在地です。鴻門は黄土大地を切り開いた洞窟状の地形です。村人は祖先から何世代もずっと、今に至るまでこの地に住み続けていますが、この黄土大地の姿は変化なく、昔の面影のままです。
1984年から鴻門の会の遺跡の発掘調査が行われ、銅剣、矛、建築材料などが出土しました。これらは非常に歴史的価値の高い物で、幕営、項王営、城壁を復元し、展示室も建設されました。幕営の中では項羽と項目は東向き、範増は南向き、張良は西向き、劉邦は北向きに座していますが、張良は樊會を呼びに出かけたので、席は空いています。
宴会前に範増は項羽に劉邦を殺すように進言し、この計画を実行するために宴会中ずっと項羽に劉邦を斬るようにと合図を送りましたが、項羽は飲みすぎて意識がありませんでした。仕方なく、範増は項羽の従弟の項荘に剣舞を命じ、項荘は舞いながらチャンスをうかがい劉邦を殺そうとしましたが、項羽の叔父の項伯は劉邦を守るために立ちあがり、項荘とともに舞いはじめました。項荘が劉邦に近づくと項伯は自分の剣で遮り、どうしても斬りつけることができません。
この緊迫した状況の中、張良はそっと席を立って軍門に急ぎ、樊會に「今項荘の剣舞は意が沛公にある」と伝えました。樊會は剣と盾を持ち軍門の衛士を突き倒して宴会場に突き進んで行きました。そして、怒りの目で項羽を睨み付けながら劉邦のために弁論しました。その直後、宴会場は殺伐とした空気が張り詰めました。
劉邦は張良に自分の中座を詫びるように頼み、用を足すチャンスを利用して、馬に飛び乗って陣営に帰り着きました。残った張良は項羽に「沛公は酔っ払ったため、挨拶が出来ず、項王に白壁一対を、範増に玉斗一対を奉ずるように私に命ぜられた」と伝えました。項羽は受け取った白壁を座席におき、呆気にとられたままでした。範増は怒りのあまり、玉斗を地面に置き、剣で斬り砕き「項王の天かを奪う奴は必ず沛公である」と叫びました。
この鴻門の会は楚と漢の天下を賭けた戦いの序幕を引きました。
南側の展示室には鴻門の会と関係のある人物連環画、雕塑像、出土品などが展示されています。北側の展示室には項羽、劉邦の関係者の等身像がそれぞれ五つずつ並んでいます。また項王営には城壁、覇王井、虞美人井が復元されています。 |